1976年、詩人の「門倉さとし」さんが歌声の仲間の結婚祝いにこの詩を贈りました。 何でも長野県の中野青年合唱団の竹前美保さんが投稿された文章からこの詩が出来たそうです。 作曲の「堀越」さんは当時仙台合唱団の研究生、東北人の冬から春へ向かう思いをこの詩に感じ、寝る間も惜しんで作曲に没頭したそうです その心意気が曲に溢れていますね。 《 雪の下の ふるさとの夜 つめたい風と 土の中で 青い空を 夢に見ながら 野原に 咲いた花だから どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう 》 今では職場だけでなく、子供からお年寄りまで歌う名曲となっています。 大島
2010年12月23日
歌ごえはこころの旅 日本の歌編
NO194 「たんぽぽ」 作詞門倉 さとし 作曲堀越 浄
1976年、詩人の「門倉さとし」さんが歌声の仲間の結婚祝いにこの詩を贈りました。 何でも長野県の中野青年合唱団の竹前美保さんが投稿された文章からこの詩が出来たそうです。 作曲の「堀越」さんは当時仙台合唱団の研究生、東北人の冬から春へ向かう思いをこの詩に感じ、寝る間も惜しんで作曲に没頭したそうです その心意気が曲に溢れていますね。 《 雪の下の ふるさとの夜 つめたい風と 土の中で 青い空を 夢に見ながら 野原に 咲いた花だから どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう 》 今では職場だけでなく、子供からお年寄りまで歌う名曲となっています。 大島
1976年、詩人の「門倉さとし」さんが歌声の仲間の結婚祝いにこの詩を贈りました。 何でも長野県の中野青年合唱団の竹前美保さんが投稿された文章からこの詩が出来たそうです。 作曲の「堀越」さんは当時仙台合唱団の研究生、東北人の冬から春へ向かう思いをこの詩に感じ、寝る間も惜しんで作曲に没頭したそうです その心意気が曲に溢れていますね。 《 雪の下の ふるさとの夜 つめたい風と 土の中で 青い空を 夢に見ながら 野原に 咲いた花だから どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう どんな花より たんぽぽの 花をあなたに おくりましょう 》 今では職場だけでなく、子供からお年寄りまで歌う名曲となっています。 大島
歌ごえはこころの旅 日本の歌編
NO193 「そんな町を」 作詞・作曲北川 てつ
この歌の作者「北川てつ」さんの代表曲は「日本国憲法前文」学校の授業にも取り上げられているそうですが、ソフトロックなリズムでとても分かり易く歌いあげています。 「北川」さんは岩手県北上市に生まれ、岩手大学在学中大病を患い入院、ベッドで聴いた音楽に「自分も人々に喜んで貰える歌を届けて行こう」 と決意され、日本のうたごえ運動に参加し今も全国を回っておられます。 常にお年寄りや障害を持たれた方達の立場に立たれ、心優しい歌曲を作られています。 その中の一つが「そんな町を」です。 《 一人一人の 力は小さいけれど みんなで寄せ合えば 大きな力になる 君と僕の 生きている町 夕陽のきれいな町 呼びかけあえば 笑顔がかえる そんな町を 》 健康な者にとっては何でもない設備や建物には、お年寄りや障害者の人達には危険がいっぱいあります。 これらを出来るだけ無くして、皆んなが安心して移動できる生活環境を作って行こうと歌っています。 本当にそうですね、私たちの歌の仲間が最近見えなくなったので「どうしていますか」 と電話をしたら、階段がきつくてもう行けないとのことです。 地下鉄の駅にはエレベーターがありますがと言うと、上り下りとも端のほうに一箇所しかないので不便だと言われました。 健康な者には判らない事です! もっと増やしていかなくては駄目なのですね。 大島
この歌の作者「北川てつ」さんの代表曲は「日本国憲法前文」学校の授業にも取り上げられているそうですが、ソフトロックなリズムでとても分かり易く歌いあげています。 「北川」さんは岩手県北上市に生まれ、岩手大学在学中大病を患い入院、ベッドで聴いた音楽に「自分も人々に喜んで貰える歌を届けて行こう」 と決意され、日本のうたごえ運動に参加し今も全国を回っておられます。 常にお年寄りや障害を持たれた方達の立場に立たれ、心優しい歌曲を作られています。 その中の一つが「そんな町を」です。 《 一人一人の 力は小さいけれど みんなで寄せ合えば 大きな力になる 君と僕の 生きている町 夕陽のきれいな町 呼びかけあえば 笑顔がかえる そんな町を 》 健康な者にとっては何でもない設備や建物には、お年寄りや障害者の人達には危険がいっぱいあります。 これらを出来るだけ無くして、皆んなが安心して移動できる生活環境を作って行こうと歌っています。 本当にそうですね、私たちの歌の仲間が最近見えなくなったので「どうしていますか」 と電話をしたら、階段がきつくてもう行けないとのことです。 地下鉄の駅にはエレベーターがありますがと言うと、上り下りとも端のほうに一箇所しかないので不便だと言われました。 健康な者には判らない事です! もっと増やしていかなくては駄目なのですね。 大島
2010年12月03日
歌ごえはこころの旅 日本の歌編
NO192 「どこまでも幸せを求めて」 作詞・作曲長谷 治
大阪朝日新聞社に「朝日ジャコーラス」と言う合唱団があります。 その合唱団員の仲間の結婚の祝いに「長谷 治」さんが1962年にこの曲を作りました。 関西合唱団の研究生でもあった「長谷」さんは作曲の経験はありませんでしたが、ギターで一つ一つ音を採りながら作ったそうです。 結婚式で「長谷」さんはギターを弾きながらこれを歌い好評を得、口伝えで全国に広まり、歌声喫茶でも歌われるようになり今に至っています。 《 ゆうべ二人で 歩いたことが 私の心を開いてくれた 若者の明日を 切り開くために どこまでもあの人と 一緒に歩きたい 》 胸が熱くなるような思いがします。 最近の若者がこの歌を聞いたらどう思うのでしょうか、 大島
大阪朝日新聞社に「朝日ジャコーラス」と言う合唱団があります。 その合唱団員の仲間の結婚の祝いに「長谷 治」さんが1962年にこの曲を作りました。 関西合唱団の研究生でもあった「長谷」さんは作曲の経験はありませんでしたが、ギターで一つ一つ音を採りながら作ったそうです。 結婚式で「長谷」さんはギターを弾きながらこれを歌い好評を得、口伝えで全国に広まり、歌声喫茶でも歌われるようになり今に至っています。 《 ゆうべ二人で 歩いたことが 私の心を開いてくれた 若者の明日を 切り開くために どこまでもあの人と 一緒に歩きたい 》 胸が熱くなるような思いがします。 最近の若者がこの歌を聞いたらどう思うのでしょうか、 大島