ようこそ歌ごえサロンへ!歌ごえメンバーの「仲間の輪」ブログ

2011年01月11日

歌ごえはこころの旅日本の歌編

NO206  「私と小鳥と鈴と」  詩金子 みすず  作曲大西 進
  「金子みすず」さんは1903年山口県大津郡仙崎村(現長門市)に生まれています。父親は書店の支店長をされていました。「みすず」さんの本名「金子 テル」さんは23歳の時、父の書店の番頭格であった人物と結婚しましたがこの結婚は幸せではありませんでした。
  「みすず」さんは大正から昭和の初期まで活躍された童謡詩人、彼女は幼いときから詩を書いていたようで20歳の時、「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」「金の星」の四誌に一斉に詩を発表し「西條 八十」さんらから高い評価を得られました。 
 彼女の詩には命あるもの、命ないものにまで優しい視点で飾りや誇張もない思ったままを表現しています。この「私と小鳥と鈴と」にもそれが表れています。 
 『 わたしが両手を 広げても お空をちっとも 飛べないが 飛べる小鳥は わたしのように 地べてを速く 走れない わたしが身体を 揺すっても きれいな音は でないけど あの鳴る鈴は わたしのように たくさんな歌は 知らないよ 鈴と小鳥とそれから私 みんな違って みんないい 』 夫は女性問題を起こし書店を追われ、「みすず」さんは夫についていきましたが、夫の暴力、挙句のはて性病までうつされ、26歳の若さで自ら命を絶ってしまいました。
 「みすず」さんは生涯515編の詩を書かれ「私と小鳥と鈴は」431番目の作品であります。彼女の詩に曲を付けられた方は多く、なかでも全詩に曲を付けられた方の一人があの「青い空は」の作曲で知られている「大西 進」さん、「大西」さんは一つの詩に何曲も作り、詩に流れる優しさに合った曲を発表されています。 きっと「大西」さんも心やさしい方なのですね。  大島
posted by たかピー at 17:19| 大阪 ☀| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

歌ごえはこころの旅 日本の歌編

NO205  「陽気に生きようこの人生をさ」  作詞・作曲宮沢 勝之
   「宮沢勝之」さんは北海道釧路市に生まれ、東北福祉大学卒業後、東京都清瀬療園の職員として障害をもつ方々の生活支援にかかわりながら人々の暮らしを歌にしたシンガー・ソング・ライターとして現在も活動を続けておられます。 1981年「陽気に生きようこの人生をさ」をもって兼業歌手として、みなさんどうか身も心も元気になってください歌はその力を与えてくれますよと全国でコンサートを開いています。
《 やけに寂しそうな 顔をしてるじゃないか 僕たちの人生って そんなはずじゃないぜ たとえ今日が寂しすぎても 涙をふこうよ 明日のためにさ 夢が 夢があるから 歌おうじゃないか もっともっと陽気にさ 僕たちの人生をさ 》 30年も前に作られた歌ですが今の世の中も明るい話しはありません元気を出して前を向いて生きて行きましょうと呼びかけています。  大島
posted by たかピー at 15:22| 大阪 ☀| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌ごえはこころの旅 日本の歌編

NO204  「ぼくのひこうき」  作詞風車 雪子  作曲浅野 義高
    1977年「うたごえ新聞」に「風車雪子」さんが投稿した詩に名古屋青年合唱団の「浅野義高」さんがの闘病中のベッドのうえで悪戦苦闘のすえ曲が作られました。 《 大空に翼を 広げて飛んで行く 僕たちの夢乗せて 地球を飛び越えて どこまでも行こうよ ララ みんなと手を取って 小さな手を離れ 今旅立つ時が来た さぁ飛んでけ 僕のひこうき 》 作者自身かそれとも身近な人のなかに可愛い子どもさんがいるのでしょうか、詩にぴったりと合ったメロディーが子ども達の夢を大きく広げています。 「うたごえ新聞」は日本のうたごえ運動の機関紙として、1956年に創刊され今年で55年目を迎えます「関 鑑子」さんが1948年に中央合唱団を結成、1953年に「第一回うたごえ祭典」を「うたごえは平和の力」をスローガンに立ち上げた「うたごえ運動」の宣伝媒体として今も大きな役割を果たしています。 大島
posted by たかピー at 14:16| 大阪 ☀| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする