「馬場祥弘」 さんの作詞・作曲と書いていますが、正しくはアメリカ民謡、訳詩馬場祥弘さんと言うことになります。 「森のくまさん」 は1971年昭和47年、NHK 「みんなのうた」 でダーク・ダックスが歌い、たちまち人気が出てラジオ・テレビで放送するようになり、いまでは教科書にも掲載される歌となりました。 前半2行は輪唱で歌い、後の2行は合唱、それの繰り返しですがとても楽しい歌です。 原詩は男が銃も持たず森を歩いていたら、まるまると太った熊が出てきて、早くお逃げなさいと言い、逃げると追いかけて来ると言うストーリです。 当初誰が日本語に訳したのか分かりませんでしたが、大阪の豊中生まれで関西学院大学出身の 「馬場祥弘」 さんであることが分かりました。 馬場さんは今では、作詞・作曲家として活躍されています。 大島
2010年03月22日
歌ごえはこころの旅 日本の歌童謡編
NO32 「森のくまさん」 作詞・作曲馬場 祥弘
「馬場祥弘」 さんの作詞・作曲と書いていますが、正しくはアメリカ民謡、訳詩馬場祥弘さんと言うことになります。 「森のくまさん」 は1971年昭和47年、NHK 「みんなのうた」 でダーク・ダックスが歌い、たちまち人気が出てラジオ・テレビで放送するようになり、いまでは教科書にも掲載される歌となりました。 前半2行は輪唱で歌い、後の2行は合唱、それの繰り返しですがとても楽しい歌です。 原詩は男が銃も持たず森を歩いていたら、まるまると太った熊が出てきて、早くお逃げなさいと言い、逃げると追いかけて来ると言うストーリです。 当初誰が日本語に訳したのか分かりませんでしたが、大阪の豊中生まれで関西学院大学出身の 「馬場祥弘」 さんであることが分かりました。 馬場さんは今では、作詞・作曲家として活躍されています。 大島
「馬場祥弘」 さんの作詞・作曲と書いていますが、正しくはアメリカ民謡、訳詩馬場祥弘さんと言うことになります。 「森のくまさん」 は1971年昭和47年、NHK 「みんなのうた」 でダーク・ダックスが歌い、たちまち人気が出てラジオ・テレビで放送するようになり、いまでは教科書にも掲載される歌となりました。 前半2行は輪唱で歌い、後の2行は合唱、それの繰り返しですがとても楽しい歌です。 原詩は男が銃も持たず森を歩いていたら、まるまると太った熊が出てきて、早くお逃げなさいと言い、逃げると追いかけて来ると言うストーリです。 当初誰が日本語に訳したのか分かりませんでしたが、大阪の豊中生まれで関西学院大学出身の 「馬場祥弘」 さんであることが分かりました。 馬場さんは今では、作詞・作曲家として活躍されています。 大島
歌ごえはこころの旅 日本の歌童謡編
NO31 「村の鍛冶屋」 作詞・作曲者不詳
歌は世につれ 世は歌につれ と大分前どなたか言いましたね! この歌が作られたのは、1923年大正12年、 「夕焼け小焼け」 と同じ 「関東大震災」 の年 「尋常小学唱歌四」 として発表されました。 冒頭に歌は世に・・・と書いたのは、 「村の鍛冶屋」 の原詩は1番2番の歌詞も今のと少し違い、カットされた3番は 《 刀はうたねど 大鎌小鎌 馬鍬に作鍬 鋤よ鉈よ 平和のうち物 休まず打ちて 日毎に戦ふ 欄惰の敵と 4番は 《 かせぐに追いつく 貧乏なくて 名物鍛冶屋は 日々に繁盛 あたりに類なき 仕事のほまれ 槌うつ響きに まして高し 》 時代背景がよく判ります、まるで鍛冶屋さんが「壮士のような感じがします。 いまの歌詞は2番までしかありません、まったく変えるに忍びない あるいは言葉使いが難しいと言うことで 3・4番は削除されたのでしょうか? 大島
歌は世につれ 世は歌につれ と大分前どなたか言いましたね! この歌が作られたのは、1923年大正12年、 「夕焼け小焼け」 と同じ 「関東大震災」 の年 「尋常小学唱歌四」 として発表されました。 冒頭に歌は世に・・・と書いたのは、 「村の鍛冶屋」 の原詩は1番2番の歌詞も今のと少し違い、カットされた3番は 《 刀はうたねど 大鎌小鎌 馬鍬に作鍬 鋤よ鉈よ 平和のうち物 休まず打ちて 日毎に戦ふ 欄惰の敵と 4番は 《 かせぐに追いつく 貧乏なくて 名物鍛冶屋は 日々に繁盛 あたりに類なき 仕事のほまれ 槌うつ響きに まして高し 》 時代背景がよく判ります、まるで鍛冶屋さんが「壮士のような感じがします。 いまの歌詞は2番までしかありません、まったく変えるに忍びない あるいは言葉使いが難しいと言うことで 3・4番は削除されたのでしょうか? 大島
歌ごえはこころの旅 日本の歌童謡編
NO30 「まりと殿様」 作詞西條 八十 作曲中山 晋平
てまりが紀州の殿様の籠に乗りお国入りをするという面白い詩を 「西條八十」 さんが書き、「中山晋平」 さんが曲を付けて、1929年昭和4年に児童絵本 「コドモノクニ」 に発表しました。 二拍子で 《 てんてんてんまり てんてまり てんてんてまりの 手がそれて どこからどこまで とんでった 垣根をこえて 屋根こえて おもての通りへ とんでった とんでった 》 ここから詩は 紀州の殿様の大名行列、金紋先箱 供ぞろいその上 ひげやっこまで出てきます。 昭和に入ってまだ間がないとは言え、西條さんはどうしてこのような詩を書いたのでしょうか、かつて 「西條」 さんは 和歌山城に行かれたことがあります。 天守閣に登りまだ大きな建物のない和歌山平野を見下ろして殿様の気分を味わったのでは・・・ まりに姿を借りて大名行列までしてしまいました。 大島
てまりが紀州の殿様の籠に乗りお国入りをするという面白い詩を 「西條八十」 さんが書き、「中山晋平」 さんが曲を付けて、1929年昭和4年に児童絵本 「コドモノクニ」 に発表しました。 二拍子で 《 てんてんてんまり てんてまり てんてんてまりの 手がそれて どこからどこまで とんでった 垣根をこえて 屋根こえて おもての通りへ とんでった とんでった 》 ここから詩は 紀州の殿様の大名行列、金紋先箱 供ぞろいその上 ひげやっこまで出てきます。 昭和に入ってまだ間がないとは言え、西條さんはどうしてこのような詩を書いたのでしょうか、かつて 「西條」 さんは 和歌山城に行かれたことがあります。 天守閣に登りまだ大きな建物のない和歌山平野を見下ろして殿様の気分を味わったのでは・・・ まりに姿を借りて大名行列までしてしまいました。 大島