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2010年02月14日

歌ごえはこころの旅 カンツォーネ編

NO14   「夢みる想い」   作詞M・パンゼリ  作曲ミサ  訳詩あらかわひろし
  「ノノ レタ  ノノ レタ  デラ マリティ  ノノ レタ  べルシーレ ソラ コンテ ・・・ 」 と16歳の彼女は少女らしい恥らいをみせながら歌った 「夢みる想い」 です。 彼女は 「ジリオラ・チンクエッティ」 と言い、イタリアのヴェローナ生れの少女が 「夢みる想い」 で1964年4月昭和39年「第13回サンレモ音楽祭」 続いて 「ユーロビジョン・ソングコンテスト」 でダブル優勝をしました。 原題は 「No Ho Leta」 ”あなたを愛する年齢になっていない” と言い あなたを愛していても まだ私はあなたを愛する年になっていない と歌う少女の歌は世界中の大ヒットとなりました。  日本訳では 《 あなたに 愛され愛する その日を 夢みる私は あなたと二人で デートをするには まだ早いかしら この胸のこのときめきを あなたは 笑わないで欲しいの ・・・  と原詩に近い訳をされていることが判ります。 「 ノノ レタ ノノ レタ デラ マリティ ノノ レタ 」 意味もわからず歌っていたことを思いだします。  ノ ノレタと歌えば伴奏がどっどん、ノ ノレタどっどん これは少女のときめきだったのですね。 大島次項有 
                              
                                                               
                       


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歌ごえはこころの旅 カンツォーネ編

NO13   「忘れな草」  作詞ドメニコ・フルノ  作曲E・D・クルティス  訳詩音羽 ・ あらかわ
  この 「忘れな草」 は 「帰れソレントへ」 の作曲家 「クルティス」 が1935年名テノール歌手の 「ミーニ・ジーリ」 のために書いたものです。 また1959年ドイツとイタリアの合作映画 「あなたなしでは生きていけない」 の挿入歌として使われ世界に発信されました。 忘れな草の名前の由来は、ドイツの悲恋物語から付けられたそうです。 中世のドイツの騎士 「ルドルフ」 は城へ帰る途中、「ドナウ河」 の岸辺に咲く可憐な花を、恋人の 「ベルタ」 に贈ろうと川岸へ下りて行きました。 花を摘んだ拍子に足をとられ河に落ちてしまいました。 「ルドルフ」 は流されながら手に持った花を岸辺に投げ 「フェアギスマインニヒト」(僕のことを忘れないで) と言って沈んでいきました。
  ドイツではこの花を 「フェアギスマインニヒト」 と呼ぶようになり、英訳でもそのまま 「フォーゲット・ミーノット」 と呼んでいます。 日本では  1905年植物学者 「川上滝弥」 さんによって 「忘れな草」 と訳されました。 原詩を紹介します 《 ツバメは飛びたった 寒く太陽のない私の国から スミレの春と 愛の巣と幸せを探して 私の小さなツバメは発った 私にキスもせずに さよならも言わずに 私をわすれないでおくれ 私の人生はあなたにつながれている 私はこの上なくあなたを愛している ・・・ 》 と 私たちが歌っている歌詞とは違う趣がありますね。  大島次項有      
                                                                                         
  
posted by たかピー at 20:26| 大阪 ☁| Comment(0) | カンツォーネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌ごえはこころの旅 カンツォーネ編

シシリア島の神殿.jpgNO12    「サンタ・ルチア」  作詞T・コットラウ  作曲E・コンビッチ  訳詩緒園 涼子
  西暦304年に21歳の若さで死んだ 「ルチア」 は横恋慕された男に異教徒だとして密告され、囚われ酷い拷問にも信仰は変わることなくキリストを信じて死んでしまいました。 その後ナポリの人達は 「ルチア」 を町の守護聖人として崇めるようになりました。 1744年オーストリア軍を撃退したとき町の人々は古くから伝わる歌を歌って勝利を祝っていました。 その後、サンタ・マリア・ディ・ピエデグロッタ寺院で第一回ナポリの民謡祭が開かれ、改めて町の歌「サンタ・ルチア」として定着していきました。
  そして1849年「コンビッチ」が歌いやすいように編曲し「コットラウ」が詩を付けて現在の「サンタ・ルチア」になりました。 ナポリ語の 「サンタ・ルチア」 は 《 美しい波止場 月の光をあびて 沖へ漕ぎいでよう 舟は二人の乗せた舟は 幸せを約束してくれる サンタ・ルチアの名にかけて ・・・ 》 と判り易い言葉で歌っています。 日本では1920年大正9年に伝わりり、浅草オペラなどで歌われるようになりました。 大島
                                        
              
  
  
posted by たかピー at 18:54| 大阪 ☁| Comment(0) | カンツォーネ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする