ようこそ歌ごえサロンへ!歌ごえメンバーの「仲間の輪」ブログ

2010年06月28日

歌ごえはこころの旅 世界の歌編

NO133  「モッキン・バード・ヒル」  作詞・作曲ポール&モートン  訳詩山上 路夫
    日本語の訳詩を見ると、この 「モッキン・バード・ヒル」 は、古ぼけた鞄一つ持って、心には希望の灯を灯しながら、町から町へと行くしがないセールスマンです。 夜は安宿に泊まり、見る夢は故郷のモッキン・バード・ヒルでの楽しい思い出、鳥は鳴き美しい花々に囲まれた故郷に早く帰りたいと願っている様子を思い浮かべています。  僕はモッキン・バード・ヒルの歌の主人公は、アメリカの西部劇に出ていたビンに入った茶色い液体を万能薬と称して、馬車の台の上から大声で売っているセールスマンを想像していました。 しかし原詩は想像とは大きく違いました。 「歌ごえはこころの旅」 に出て、その歌の誕生背景、作者の心境などが少しでもわかれば、その歌への思いが歌唱に伝わるのではと思って世界各地を訪ねてきました。 時には、外国曲の原詩と訳詩とがあまりにも違うことに遭遇すると、本当のことを書いてみなさんに戸惑いや失望感を持たれないかとか、本当のことを書いて良いのか迷ってしまうことがありますが、出来る限り本当のことを書くようにしてきました。  これからもそうして行きたいと思っていますので、どうかお付き合いをお願い致します。
さて、この歌の原題は 『 TO kill a Mockihgbird 』 ものまね鳥 原詩を紹介します 《 Tla−la-la twiddly - dll - dll  it gives me a thrill To make up in the mornig to the mockingbird"s trill  tra - la - la, twiddly - dll - dll There"s  peace and goodwill you"re welcomes The  flowers on MockinBird Hill ・・・ 》  トララ トリリ と鳴き真似をするツグミのトリル その鳴き声が 私の朝の目覚めの合図なの 真似声をしてこの平和な モッキン・バード・ヒルの丘の花をつんで 私に持ってきてくれる ・・・ と 幸せな娘の朝のひと時を歌っています。 アメリカではパティー・ページが、うら若い娘の幸せな朝の目覚めを歌って大ヒットした曲でありましたが、訳詩をした山上路夫さんのこの曲へのイメージは全く違っていました。 町から町へ旅する侘しいセールスマンを描いたのです。 古ぼけたカバン ひとつで 町から町を 歩くよ ポケットも腹もからっぽ 夢だきゃたっぷり もってるぜ トゥラララ トゥイットル ディディと心に いつも聞こえる あの調べよ トゥラララ トゥィットルディディ 忘れない ふるさとの丘よ モッキン・バード・ヒル  僕はこの詩のほうが好きですね、 実にこのメロディーにあっていると思います。 日本でもそうですが、セールス・営業の仕事はきついし切ないですね。  大島かわいい   
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
   

  
  
  
  
posted by たかピー at 09:30| 大阪 ☁| Comment(0) | 世界の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

歌ごえはこころの旅 世界の歌編

NO132  「マイ・ウェイ」  作詞ティボー&ポール・アンカ  作曲フランソワ  訳詩岩谷 時子
   この 「マイウェイ」 は元々はシャンソンでありました、シャンソンとは日本で言えば流j行歌と言うことある日ポール・アンカフランク・シナトラがぼつぼつ引退するらしいと言う話しを聞いて、このシャンソンに英語の歌詞を付けて作った歌が名曲となったこの 「マイ・ウェイ」 です。 元歌のシャンソン題名は 『 Comme d”habitude 』 正しい行い クロード・フランソワ と言う人が1944年に書いていました。 これをポールは尊敬する大先輩フランクに贈りました。 しばらくヒット曲のなかったフランクにとっては慈雨となりました。
ポ−ル・アンカの詩は船に乗ってどこか行く歌ではなく、死の床についた男に去来するこれまでの人生を歌っているのです。人生の終わりは誰にでも来ます歌詞にありますように、その人生は人として恥ずかしいものではなかったか自問自答しています。  私たちの歌集、岩谷時子さんの訳詩はまさにそこの所を見事に表現した素晴らしい歌詞を書かれています。 やがて私も この世を去るだろう 長い年月 私は幸せに この旅路を 今日まで生きてきた いつも私のやり方で ・・・  フランクはマフィアとの関係を取りざたされ、映画ゴッド・ファーザーの歌手はフランクの事ではないかと言われていました。 褒められた事では有りませんが一方 素敵な踊り、また面白い多くの映画を見せてくれたのも歴史の事実ですね。 大島かわいい
                                                                                                                                
posted by たかピー at 08:28| 大阪 ☁| Comment(0) | 世界の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月23日

歌ごえはこころの旅 世界の歌編

NO131  「一人の手」  作詞コンフォート  作曲ビート・シーガー  訳詩松原 雅彦
   1919年5月3日にニューヨークの音楽家の子供として生まれたピート・シーガーさんは、92歳の今もステージに立たれ歌われているそうです。 20世紀中半、世界は宗教も内在しているかも知れませんが、主にイデオロギー的、あるいは植民地からの独立を目指した戦いが世界各地で起きていました。 この頃のピートは、1940年にはホワイトハウスでの「アメリカ兵士のための夕べ」に出演したりしていましたが、1941年音楽グループアルマックスシンガーズとして歌った『 Dear Mr" Presidennt 』 大統領閣下と題して戦争批判をしマッカーシー旋風にかかり仕事を取り上げられてしまいました。 1950年にはザ・ウイーバーズの一員となり、1960年代にはプロテストソング(政治的抗議をメッセージにした歌)のパイオニアとして、「花はどこへ行った」 そしてこの 「一人の手」 を発表しました。
日本語訳はいろいろありますが、私たちの歌集には 一人じゃ見られない 遠くは見られない でもみんなの力でなら きっとできる その日がくる 》  松原雅彦さんの訳詩、そして忘れてならないのは、公民権運動のテーマソングともなったウイ・シャル・オーバーです。 まさにピートは、一時はアメリカ共産党にも入っていましたが、基本的にはリベラルな自由人だったのでしょう。 ただ、弱いもの貧しい者を痛めつけるような権力には徹底して抵抗しました、ただし歌と言う武器で、彼の影響を受けた歌手は、「ジョーン・バエズ」「ボブ・ディrラン」「ポール&マリー」「ブラザース・フォー」そして日本人の多くの歌手も平和を求める心を継いでくれているように思います。  大島かわいい
                                                                                                        
  
  
posted by たかピー at 14:49| 大阪 ☁| Comment(0) | 世界の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする