訳詩の吉丸一昌さんは 「早春賦」 の作詞で知られていますが、教師として43歳の短い人生を送られた方です。吉丸一昌さんは1873年9月15日大分県現臼杵市の下級武士の長男として生まれ、東京帝国大学(現東大)国文科に進学、勉学のかたわら、下宿先で私塾 「修養塾」 を開き生涯にわたり、地方からの苦学生と生活を共にして、衣食住から勉学・就職に至るまで世話をしていたそうです。 一方、1911年から1914年にかけて発行された 「尋常小学唱歌」 の編纂委員会作詞委員会の委員長として、第一学年用から第六学年用までの六冊、一学年20曲計120曲を収録した日本の唱歌の基礎となる音楽教科書をつくりました。 また、吉丸さんは、自らの作詞による 「新作唱歌集」 全75曲を発表します。
その中の第三巻に 「早春賦」 第五巻に 「故郷を離るる歌」 が収められています。 さて、この 「故郷を離るる歌」 は別れのイメージからかけ離れていると批判があるそうです。 私たちも生まれ育った故郷を離れる時、このように軽やかな気持ちでいられるものかと疑問に思っていましたが、原詩は 「最後の夕べ」 と題した男女の別れを惜しむドイツ民謡で、その詩は、《 月が明るく輝く夕べ 恋人と別れなければならなくなったけれど それでも心はいつも愛する人のそばにある 》 次いで 《 大金持ちになって恋人のそばにいることができるのであれば それはそれで幸せなことだけれど 経済的に貧困であっても 何も恥らうことはない 金銭的に裕福でなくとも 心が豊かに満たされ そして永遠の命を与えられるならば あなたは一生私の恋人でり続けるだろう 》 と男女の愛を堂々と歌っています。 当時の日本での愛情表現はここまで出来なかったのでしょう。 吉丸さんの詩は、恋人との別れではなく、明るく爽やかに希望に向かって進む故郷との別れの歌に変えています。 しかし、日本での別れであれば、つい暗い歌になるのでしょうが、ドイツの歌は決してジメジメとしたものではないのですね! 私たちの歌ごえの閉めの歌である 「別れ」 もけっして湿っぽいことはありませんね、これからも 「故郷を離るる歌」 は 元気に楽しく歌いましょう。 大島
