ようこそ歌ごえサロンへ!歌ごえメンバーの「仲間の輪」ブログ

2011年01月01日

歌ごえはこころの旅 日本の歌編

NO197  「花をおくろう」  作詞森田 ヤエ子  作曲荒木 栄
  NO182の「がんばろう」で少し書きましたが、1953年石炭から石油へとエネルギー政策の転換により、三井三池鉱山は経営合理化と称して希望退職者を募りました。  各職場の割り当てに達しなかった為、会社側は3,464人に退職勧告をしました。 それに従わない2,700人を指名解雇、これに反発した炭鉱労働者と事務職員は共闘してストライキに突入、ストライキは113日に及び、ついに会社側は指名解雇を撤回し労働者側の勝利となりました。  しかし会社の経営は思わしくなく、1959年1月6,000人の希望退職を含む会社再建策を提示しました。 これに対抗して労働者側は無期限のストライキに突入、前回の勝利以後炭鉱労働者の横柄な言動に反発していた事務職員との共闘はありませんでした。  この闘いの中で暴力団のスト破り・組合員への干渉など事件や爆発事故などがあり、1963年の中央労働委員会の表決も会社側の立場に立ったもので 労働者側の敗北となりました。 「花をおくろう」は、この第二次三井三池闘争の最中に知り合った「神谷国善」さんと「宗利周子」さんの結婚のお祝いに「荒木 栄」「森田ヤエ子」さんが作り、1961年結婚式の当日九州合唱団の代表者が合唱したのがこの歌のデビューであります。  歌詞にあります様に二人は様々な困難にあって来ましたが、今も手を取り合って歩んでおられるのではないでしょうか! 大島
posted by たかピー at 13:36| 大阪 ☁| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌ごえはこころの旅 日本の歌編

NO196  「芭蕉布」  作詞吉川 安一  作曲普久原 恒勇
  沖縄の音楽には独特の雰囲気があります楽器の三線・琉球笛・太鼓などの音色による所もありますが、特徴的なことは沖縄ならではの音の使い方にあると言えます。  日本本土の古いメロディーの音階の使い方は、スコットランドやアイルランドと同じようにド・レ・ミ・ソ・ラ・ドのファとシを抜いたヨ・ナ抜き音階と言いますが、沖縄ではレ・ラを抜いてド・ミ・ファ・ソ・シ・ドのレ・ラ抜き音階で作られている曲が多くみられます。  「芭蕉布」を作曲した「晋久原」さんは昭和7年に大阪市此花区に生まれ、養父が経営する沖縄音楽のレコード店では、沖縄音楽が溢れていましたが「晋久原」さんはクラシlックなど西洋音楽も学んでおり、養父との考えの違いで沖縄に渡り、一時音楽の道から離れていましたが沖縄音楽のプロデュサーとなり、若者向けに新しい沖縄音楽を発信して行きました。 そのような中、昭和40年この「芭蕉布」が生まれラジオで放送された時、地元沖縄では沖縄らしくないと評判あまりよくありませんでしたが、本土の人達には自然に受け入れられ広まっていきました。 そして昭和43年NHKの「名曲アルバム」で放送され一挙に全国の人が知るところとなりました、「芭蕉布」はほとんどが西洋音階で作られています。
  さて作詞の「吉川」さんは沖縄県の鳩間島で生まれ育ち、当時小学校の教諭をされていました、二人は新しい沖縄音楽を作ることに共鳴して吉川さんがこの詩を書かれたそうです。 「芭蕉布」の歌詞の3番は何を言っているのか良く判らないと言われる方が多く居られます 《 今は 昔の首里天じゃなし 唐オゥーつむぎ はたを織り 上納捧げた 芭蕉布 浅地紺地の 我した島沖縄 》 は 今でこそ王の居られるお城ではないが、かつて「唐」とうもろこし(糸芭蕉)の茎をつむいで機を織り浅黄色や紺色に染めてこの芭蕉布を上納していたのですと歌っています。 現在では沖縄の北部、大宣味村(おおぎみむら)の「喜如嘉」が芭蕉布の里として知られています。 僕も友人のご夫婦と4人で行き実際に芭蕉布の制作工程を見、人間国宝の「平良敏子」さんにもお会いすることが出来ました。 「芭蕉布」は私達の歌ごえサロンの代表的愛唱歌の一つ、これを歌っていると沖縄の真っ青な空と海木々の緑 そして真っ白な砂浜が目に浮かんできます。 素晴らしい歌に感謝しています。 大島 
 
  
posted by たかピー at 12:13| 大阪 ☁| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする