ようこそ歌ごえサロンへ!歌ごえメンバーの「仲間の輪」ブログ

2011年01月19日

歌ごえはこころの旅 世界の歌編

NO142  「朝露」  作詞・作曲キム・ミンギ  訳詩キム・ジョンミョン
  「歌ごえはこころの旅」の最後の歌は韓国のフォークソングの第一人者「キム・ミンギ」さんが作られた国民的歌曲「朝露」原題は「アチムミスル」とにかく韓国では誰一人知らない人はいないといわれるほど人気のある歌であります。
 この歌を作詞・作曲された「キム・ミンギ」さんは1951年医師を父に韓国全羅南道の益山に10人兄弟の末っ子として生まれていますが、彼がまだ母親のお腹の中に居る時、父親は人民軍に殺され、助産婦をされていたお母さんは大変なご苦労をされて育てられたそうです。
 彼が高校生の頃、姉に貰ったギターを手にしたことが歌作りの始まりでした、19歳の時知り合った歌手の「ヤン・ヒウン」さんのために作った歌の一つがこの「朝露」であります。
 この「朝露」は、韓国だけでなく北朝鮮でも歌われていました歌詞には政治的・思想的な表現は全くありませんが、韓国では民衆がデモや集会でこの「朝露」の大合唱をするため、1970年「パク・チョンヒ」軍事政権は歌うこと放送することを全面的に禁止してしまいました。
 それから17年、1987年に解禁され民主化運動など抵抗する民衆の歌として蘇り韓国各地で歌われ、前の韓国大統領「ノ・テウ」さんまで歌うというまさに韓国の人々にとってこの歌は民主主義の象徴の歌となったのです。
 『 ながい夜をあかし 草葉に宿る 真珠より美しい 朝露のように 心に悲しみがみのるとき 朝の丘に立ち ほほえみを学ぶ 陽は墓地の上に 赤く昇り 真昼の暑さは 私の試練か 私は行く 荒れ果てた荒野へ 悲しみふりすて 私は行く 』  哀愁のただよう曲調ですが誇り高く力強い曲調が韓国の民衆に迎え入れられたのでしょう。
 私たちはあまり歌いませんでしたが、1月の23日(日)の歌ごえサロンin昭和町で紹介したいと思っています。
 さて、「歌の旅」は、この歌はあの歌はどうして作られたのか、どういう時代だったのか、作者は何を思っていたのか、なにを伝えたいのかそれらを訪ねる14ヶ月に及ぶ旅でありました。
 図書館に通い本を買い求め調べていく中で作品に対する作者の思い入れを強く感じることが出来ました。その思いをみなさまに伝えるべくつたない文章を書いてきましたが、みなさまにその思いが少しでも伝えることができたでしょうか、もし少しでもその思いが伝わっていればとても嬉しいことであります。
 終わりに美しく素晴らしい詩や曲を作られた多くの作者のみなさんと、これまでお付き合い下さった歌の仲間のみなさまに感謝の気持ちを贈りたいと思います。
 ありがとうございました。 大島
 
posted by たかピー at 14:23| 大阪 ☀| Comment(0) | 世界の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

歌ごえはこころの旅 日本の旅編

NO208  「Love  and  Peace」  作詞・作曲きむら いずみ
 副題に「私たちは歌いつづける」と付いたこの「ラブ・アンド・ピース」はどんな背景でうまれたのでしょうか、それは今から8年前の2003年、山形の平和コンサートの実行委員長を14年にも亘って務められた山形大学の名誉教授だった「高橋 幹彦」さんに感謝する会が開かれました。 当時山形センターの事務局長をしていた「きむらいずみ」さんが平和コンサートに参加されている人々の平和への思いとアメリカが準備を進めていたイラクへの戦争に反対する世界の人々の思いが胸にこみ上げてきてこの歌をつくられました。
 平和を希求する運動はさまざまな形で世界でそして日本でも取り組まれています。歌声もその一つです、平和であるからこそ歌うことができます。1984年山形市も平和都市宣言した翌年から山形平和コンサートが開かれるようになりました。
『 まぶしい朝の 光をあびて 風にゆれてる 名もない草たち 耳をすませば 聞こえてくるでしょう 小鳥たちのさえずり ラブ アンド ピース 小鳥たちは 歌いつづける ラブ アンド ピース 今日を生きてる喜び 』 いつになったら戦争のない世界平和な世界になるのでしょうか、一日も早くそうなってほしいと思います。  大島  
 
posted by たかピー at 14:32| 大阪 ☀| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月16日

歌ごえはこころの旅 日本の歌編

NO207  「わらぐつの歌」  作詞門倉 さとし  作曲寺原 伸夫
    「門倉」さんの詩は一貫して人生は素晴らしい、その人生を楽しいものに、と詩い続けてこられました。 「門倉」さんは、三井三池炭鉱の争議に中で、「荒木 栄」さん「森田やえ子」さんらと交流がありました。 この「わらぐつの歌」は「門倉」さんの生まれ故郷の思い出を詩われたものと思います 『 わらぐつは わらぐつは よなべの よなべの子守歌 歌ってたたいて母さんが 作ってくれた 雪の夜 』 なんだか「窪田 聡」さんの「母さんの歌」によく似た感じの歌ですが、「寺原」さんのメロディーとマッチしてほのぼのとした歌になっています。  「門倉」さんは、「たんぽぽ」「青春」などを作詞され、「寺原」さんは「手のひらの歌」を作曲された方としてよく知られていますが、あの「剣の舞」の作曲家、ロシアの「アラム・ハチャトリアン」さんが来日された時才能を認められ、モスクワ音楽学校に留学を薦められました。 2009年は「門倉」さん、私たちの歌集にも掲載させていただいている「おくりもの」の作曲家「林 学」さん「アメージング・グレイス」を作詞された「山ノ木竹志」さんが亡くなられています。    心よりお悔やみ申し上げます。  大島
 
posted by たかピー at 09:35| 大阪 ☀| Comment(0) | 日本の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする